まずは「博多千年の都市(まち)」って、博多部って意外に歴史が深いのねと。
博多の歴史(とくに商業史)でまず思い浮かんだのが『博多』だったので、早速読んでみることに。
古くは、博多区板付から発見された板付遺跡(D.C.450年ごろ)にまでさかのぼってしまえば、博多部は2000年以上の歴史があるといえてしまう。
さらに、「漢委奴国王」で有名な
金印が出土したのは福岡市東区志賀島の叶崎(かのうざき)で(掘り出した本百姓の甚平衛さん!あんたはエライ!)、倭奴国王が後漢の光武帝から金印を賜ったのが57年だとするとおよそ1950年前、筑紫君磐井が大和朝廷に対して決起(磐井の乱)したのが527年で1480年前のことだ。
福岡・博多の歴史年表(
博多灯明ウォッチング)をみると、「博多」という地名が奈良時代(759年)に初めて登場するらしい。
などと興味本位で博多の歴史についてあれこれ調べてみると、博多部としての発展は、鎌倉時代における禅宗寺院と国際交易を通じて都市形成を図っていったことがわかる。
主に宋との宗教による文化交流とともに人や品物の交易も盛んに行われていたらしく、お茶、うどん・そば、お饅頭の発祥の地が博多部にあったりする。
宋から渡来した僧や商人たちが、そのまま博多の寺院やその周辺に定住し、博多部における博多商人文化の礎を築いたともされている(博多祇園山笠のルーツもこのころに求められる)。
とりあえず「博多千年の都市」というのはだいたいこのころに起源を求めているということだろう。
その他、博多三傑と称された豪商ら(神谷家、嶋井家、大賀家)、秀吉による太閤町割と楽市楽座などなど、博多部の商業史について調べればきりがない。
福岡天神に比べれば博多部の歴史は非常に濃厚である。
つまりそれだけ複雑怪奇な人間模様も存在し、再開発と一口にいえども利害関係の調整などが極めて困難な問題になりそうだ。
あえて「千年」と銘打った再開発事業、残された期間はあと4年、一筋縄ではいかないだろうなと感じる。
博多部については引き続き取り上げることにしたい。