商店街歩記 vol.03:銀天町商店街

2007.04.03 Mall 5 Comments boff 1,171 view

 

概要

銀天町商店街は雑餉隈(ざっしょのくま)にある。
地図でみてもわかるように、糟屋郡宇美町、太宰府市、大野城市、そして春日市と接した福岡市博多区の南端である。
「雑餉」という地名には諸説あるようで、郵政公社のHP「福岡雑餉隈郵便局」紹介のページに次のような記述があった。

 

室町時代から江戸時代にかけて、太宰府往還の宿場町として栄えた所であり、往来の旅人が脚を休めたり、近在の百姓が日用品等を求めて集まるため、酒希や食事を供する茶店や旅籠が軒を並べていた所である。九州北部ではお祝の時に贈る饅頭などの食物を「お雑餉(おざっしょう)」と言う。

 

また、「紀行道中写真館」では、「『雑餉隈』とは・・・特に遊郭を表した呼称ともいわれる」(「雑餉隈駅」より)といった記述もみられる。
いずれにせよ、太宰府とのかかわりが深い土地であるといって差し支えないだろう(西鉄沿線「駅名もの知り事典」も参照)。
銀天町商店街の基点となる西鉄雑餉隈駅は1924年(大正13年)に開業、その後商店街としての本格的な集積は戦後間もなくであるという。
銀天町商店街や地域の人たちで結成された「親孝行の街づくり実行委員会」発行のコミュニティペーパー『よござっ書』に当時の銀天町商店街の状況が写真とともに紹介されており、とくに『よござっ書 第2号』(2005年8月20日発行)の「ざっしょ思い出の写真館」が興味深い。
それによると、昭和40年ごろ雑餉隈界隈には4つの映画館があり、サーカスの興業なども行われていたという。
また当時の写真をみると、まだ「銀天」を意味するアーケードがなく、おそらくそのころはまだ「ざっしょ」と呼ばれていたのではなどと勝手に想像してしまうのだが。
 

印象

実際に雑餉隈に行ってみてはじめてわかったことが、西鉄雑餉隈駅前には銀天町商店街のほかに南本町商店街(地図中[2])があったことだ。
駅を出てまず出くわしたのが南本町商店街で、多くの買い物客で賑わっていた。
南本町商店街に面して「マルキョウ」と「まるたか生鮮市場」という2つのスーパーマーケットがあり、とくにまるたか生鮮市場のテナントがおもしろかった。

まるたか生鮮市場雑餉隈店オープンは2005年10月でまだ店舗も新しい。
ただよくわからないが2Fにはドラッグ11がこれから入るのかすでに撤退したのか、立ち入り禁止になっており、1Fのみ営業をしている。
まるたか生鮮市場の売場はスーパー本体がほとんどを占めているのだが、入り口付近から並ぶ生鮮の専門テナントのクオリティが非常に高い。

そのことは、発泡容器の濁った氷水に雑然と浮かぶスーパー本体の鮮魚コーナーの商品と比較すれば一目瞭然である。
鮮魚専門テナントの商品はそのほとんどが「丸物」で、客の要望に応じてその場で切り分けたりしている様子をみていると、スーパーの中の商店街を思わせる。
一方、スーパー本体の鮮魚コーナーには一人の客もいなかったことはいうまでもない。
さて、目的の銀天町商店街であるが、一言でいえば「ミニ川端通り商店街」である。
銀天町商店街は、どちらかというと衣料品や生活日用品の店舗が多く、商店街中ほどにあるブティックの店頭に並ぶドレスは、川端通り商店街にあるそれと酷似していた。
そもそも雑餉隈というエリアは、中洲に次ぐ第2の歓楽街といわれている(らしい)から、中洲の川端通り商店街と雰囲気が何となく似てくるのであろうか。
やや無理やり結論づけると、日用品類(買回品)は銀天町商店街、食料品類(最寄品)は南本町商店街という機能分化がみられ、買回品が中心の銀天町商店街の買い物客の往来密度が低くなるのは当然であるように思われる。

 

評価

※良い:5~悪い:1
・品揃え:3・・・・銀天町商店街単独では生鮮食品が弱い
・アクセス性:4・・・・西鉄雑餉隈駅とJR南福岡駅に挟まれた商店街
・アメニティ:2・・・・「雑餉隈」というイメージが人を寄せ付けない?
・賑わい:2・・・・南本町商店街は賑わっていたのだが・・・
・ホスピタリティ:3・・・・まるたか生鮮市場前の休憩スペースはタウンウォッチに最適
・総合評価(平均):2.8・・・・銀天町商店街単独での評価かなと

 

こぼれ話

銀天町商店街の南入り口付近の通路上に写真のようなプレートが埋め込んである。
メンバーによると、福岡の人は西鉄を「電車」、JRを「汽車」と呼ぶのだそうだ。
せっかくなのでJR南福岡駅まで歩いた。
その道中「元町商店街」を抜けていったのだが、お店は1軒もなく、一体なぜ「商店街」なのだろうか、もしかしたら十日恵比寿のときだけ出店が軒を連ねるのだろうか、謎である。
銀天町商店街を歩きにいったのに、われわれは南本町商店街に目を奪われしまった。
南本町商店街がなければ銀天町商店街はとっくにシャッター街になってしまっているのではないかと思わせる。
しかし、そんな南本町商店街でひときわ異彩を放っていたのが、ブティック「巴里の朝市」である。
ここまでパリをデフォルメしたお店をみたことがない。

Reaction

  1. Nori より:

    後で20年位前の様子を聞いてみたところ、「まるたか生鮮市場」はその昔えじまや+専門店だったそうです。
    そして、「元町商店街」は昔からあんなふうに何もなかったとか。
    「銀天町商店街」もやはり衣料品がメインで、しょっちゅう利用するもんではなかったそうです。

  2. Boff より:

    「えじまや」というスーパーは確か井尻商店街にも存在したヤツですかね?
    どうもイオンに吸収されてしまったらしいのですが・・・見る影もないですな。
    「元町商店街」・・・不思議です。
    お店もないのになぜ「商店街」という名前がついているんだろうか?

  3. 元ローレル住人 より:

    元町商店街は30年ほど前は駄菓子屋、おもちゃ屋、お茶屋、酒屋、ケーキ屋、ラーメン屋、たこ焼き屋、本屋、喫茶店、服屋などいろいろお店がありました。
    もちろん十日恵比寿のときは毎年すごい人出でした。
    いまでは十日恵比寿もまばらな人出ですが。
    その後、だんだんと閉店していき今ではほんの数店しか営業していないと思います。

  4. 元ローレル住人 より:

    追加。
    南福岡のに面する方には小僧寿しもありましたし、
    古切手を売ってる店もありました。
    なつかしいな。

  5. Boff より:

    元ローレル住人さんへ
    情報とコメントありがとうございます。
    やはり「元町商店街」はかつては商店街として存在していたんですね。
    この記事を書いて以来、雑餉隈近辺にはいってませんが、『よござっ書』が去年の6月号から更新されていないようですね。
    http://www.gintencho.jp/
    またいってみたい商店街です。

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