刺激-反応型では・・・

4/4(水)、2本目の打ち合わせはPaperCompanyさんにて、新たな企みの件などを。
詳細は残念ながら明らかにできないが、こういう企みの場にお誘いいただけるのがうれしいのである。
共同でできるか否かは別にしても、違う組織の人たちとアイデアを出し合い新しいテーマにチャレンジしていくことは、まったく無駄な時間ではない。
例えば、同一の組織内においてそういったコミュニケーションができない、文字通り死んだ組織がある。
ましてや外部の組織との情報交換など、「機密情報の漏洩」とでもいわんばかりにシャッターを下ろすような組織だ。
社会情報の蓄積はAmazonに任せて、われわれは積極的な情報フローに価値を見出したい。

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ロゴマーク制作の記録:Esquisse02

今日は午後から打合せ2本。
1本目にmineさんとロゴマークの打合せをした。
新たにエスキースを見せてもらった。
前回のエスキースに対する意見要望を織り交ぜて、新たな作風も登場。
mineさんからは、せっかくだから当ブログのテンプレートをオリジナルに作り変えたほうがいいとご指摘いただいた。
大変である。

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商店街歩記 Vol.03・・・銀天町商店街



【概要】
銀天町商店街は雑餉隈(ざっしょのくま)にある。
地図でみてもわかるように、糟屋郡宇美町、太宰府市、大野城市、そして春日市と接した福岡市博多区の南端である。
「雑餉」という地名には諸説あるようで、郵政公社のHP「福岡雑餉隈郵便局」紹介のページに次のような記述があった。
室町時代から江戸時代にかけて、太宰府往還の宿場町として栄えた所であり、往来の旅人が脚を休めたり、近在の百姓が日用品等を求めて集まるため、酒希や食事を供する茶店や旅籠が軒を並べていた所である。九州北部ではお祝の時に贈る饅頭などの食物を「お雑餉(おざっしょう)」と言う。

また、「紀行道中写真館」では、「『雑餉隈』とは・・・特に遊郭を表した呼称ともいわれる」(「雑餉隈駅」より)といった記述もみられる。
いずれにせよ、太宰府とのかかわりが深い土地であるといって差し支えないだろう(西鉄沿線「駅名もの知り事典」も参照)。

銀天町商店街の基点となる西鉄雑餉隈駅は1924年(大正13年)に開業、その後商店街としての本格的な集積は戦後間もなくであるという。
銀天町商店街や地域の人たちで結成された「親孝行の街づくり実行委員会」発行のコミュニティペーパー『よござっ書』に当時の銀天町商店街の状況が写真とともに紹介されており、とくに『よござっ書 第2号』(2005年8月20日発行)の「ざっしょ思い出の写真館」が興味深い。
それによると、昭和40年ごろ雑餉隈界隈には4つの映画館があり、サーカスの興業なども行われていたという。
また当時の写真をみると、まだ「銀天」を意味するアーケードがなく、おそらくそのころはまだ「ざっしょ」と呼ばれていたのではなどと勝手に想像してしまうのだが。

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ロゴマーク制作の記録:Esquisse01

早速、mineさんからエスキースが送られてきた。
可愛い顔キャラがチラホラ、ビー球が弾んで「M」を文字ったりもしている。

ん?"MABLE"になっている?

時々、関係なさそうなものも描かれていたりして・・・・それがまた楽しい。
とりあえず、途中経過ということなので、さらなるラフをメンバーと楽しみに待つことにしよう。

気になったのある?



アロマテラピーは女性が多い?

私はストレスとうまく付き合う手段の1つとして、アロマテラピーを取り入れています。手軽に心身の癒し効果が得られるので、何だかんだ続けられてる訳です。

アロマテラピーをしてる人というと、女性が多い…というイメージがありませんか?
某SNSでは「アロマが好き」という男性も結構多く、売場に行くと男性しかいなくて驚かされることもしばしばあります。どうやら、女性に限ったものでもなさそうです。
そこで、女性はもちろん男性にも取り入れやすいアロマの方法(といっても普通の使い方)を提案してみようと思います。

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