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商店街歩記 Vol.03・・・銀天町商店街



【概要】
銀天町商店街は雑餉隈(ざっしょのくま)にある。
地図でみてもわかるように、糟屋郡宇美町、太宰府市、大野城市、そして春日市と接した福岡市博多区の南端である。
「雑餉」という地名には諸説あるようで、郵政公社のHP「福岡雑餉隈郵便局」紹介のページに次のような記述があった。
室町時代から江戸時代にかけて、太宰府往還の宿場町として栄えた所であり、往来の旅人が脚を休めたり、近在の百姓が日用品等を求めて集まるため、酒希や食事を供する茶店や旅籠が軒を並べていた所である。九州北部ではお祝の時に贈る饅頭などの食物を「お雑餉(おざっしょう)」と言う。

また、「紀行道中写真館」では、「『雑餉隈』とは・・・特に遊郭を表した呼称ともいわれる」(「雑餉隈駅」より)といった記述もみられる。
いずれにせよ、太宰府とのかかわりが深い土地であるといって差し支えないだろう(西鉄沿線「駅名もの知り事典」も参照)。

銀天町商店街の基点となる西鉄雑餉隈駅は1924年(大正13年)に開業、その後商店街としての本格的な集積は戦後間もなくであるという。
銀天町商店街や地域の人たちで結成された「親孝行の街づくり実行委員会」発行のコミュニティペーパー『よござっ書』に当時の銀天町商店街の状況が写真とともに紹介されており、とくに『よござっ書 第2号』(2005年8月20日発行)の「ざっしょ思い出の写真館」が興味深い。
それによると、昭和40年ごろ雑餉隈界隈には4つの映画館があり、サーカスの興業なども行われていたという。
また当時の写真をみると、まだ「銀天」を意味するアーケードがなく、おそらくそのころはまだ「ざっしょ」と呼ばれていたのではなどと勝手に想像してしまうのだが。

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ミックスト・カルチャーとはこれいかに

"NO MUSIC, NO LIFE."とは、いわずも知れたTOWER RECORDSのコーポレート・ボイスである。
この優れたコピーは、富士フィルムの"NO PHOTO, NO LIFE."といった他の業界とのコラボレーションを生んでいる。

そして今回、新たに生まれたコラボレーションが"NO MAID, NO LIFE." である。

音楽とは他のカルチャーとの親和性が非常に高いのだなと思わせる。
この分だと、何でもありだ。

例えば・・・・

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CIって、ちょっと古臭い?

某宅配便企業が創立50周年で、そのロゴマークを一新、「普通の人」になってしまった。
かつての「古風郵便屋さん」マークは一時期、その赤いふんどしに触ると幸福が訪れるという都市伝説にまでなったのに、非常に残念。

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オトナのおもちゃ

今、オトナのおもちゃがヒットしている。
「オトナのおもちゃ」というといろいろ語弊があるので、ここでは「ホビーグッズ」と呼びたい。
写真は、昨年タカラトミーから発売された「ろくろ倶楽部」のパンフレットである。
この「ろくろ倶楽部」は、発売から3ヶ月間で実に3万個を出荷(1セット税込みで10,500円なので3ヶ月で出荷額3億円)したことで話題となった。
そして、同じくタカラトミーから第2弾として、自宅で簡単に手打ちそばが楽しめる商品が間もなく登場するようだ(仮称「いえそば」)。

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商店街歩記 vol.01・・・美野島商店街




【概要】
福岡市博多区美野島にある「美野島商店街」(上記地図参照)は、城南線と百年橋通りに挟まれたエリア内の十字路に沿って集積している。
美野島エリアに関する詳しい歴史的背景はわからないが、大きく分けて百年橋通りを堺に南は工場地帯、北は昔ながら住宅街というエリア構造をなしている。
南エリアでは、平成元年に本州製紙福岡工場が移転、その跡地には福岡市の住宅市街地総合整備事業(通称「りぼんシティオ那珂川」)により大規模なマンションが建設され、那珂川河川敷も含めて(「那珂川ふるさとの川モデル事業」)総合的な街開発が進められた。
(現在も南エリアには松下電機工場があり、かつてこの松下工場の近くに国鉄筑肥線の「筑前簑島駅」があったことから、工業団地が商店街を支えたという話だが・・・・)

一方、住宅街である北エリアの雰囲気を上手く表現した書込みが2chにあった。
「探偵物語」の工藤ちゃんがもし福岡に住むなら、きっと美野島の古いビルの最上階にいそうだよね!

まさにそんな場所である。

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