ブランド化の落とし穴?

先日、福岡市西区周船寺を訪れた。
周船寺では4年ほど前から、地元の商工業者と農業者が協力し「主船司倶楽部」という会を発足、街づくりの一環として地元で生産加工された製品に「主船司」という独自のブランド化を行っている。
「地域ブランド」の事例調査として情報収集を兼ねて訪れたのであるが。

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  • *1:1999年
    ブランド―価値の創造 (岩波新書)
    ブランド―価値の創造 (岩波新書)
    石井 淳蔵
    岩波書店

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商店街歩記 vol.05・・・香椎地区商店街



【概要】
福岡市東区香椎地区には、大小合わせて13の商店街がある(香椎商工会連盟)。
香椎は、1977年(昭和52年)の福岡市マスタープラン(福岡市総合計画)において福岡市東部の副都心に位置づけられ、その後大規模な再開発事業が展開されている地区でもある。
福岡市新・基本計画-区基本計画』の「東区基本計画」をみると、香椎地区の目標の中には「界隈性を活かした賑わいのあるまち」として香椎駅周辺の商店街の活性化が上げられており、2015年までに道路・区画整備を行い商業エリア・居住エリアのゾーンニングを実施する計画を立てている。

他方、香椎は松本清張の『点と線』*1の舞台になったことでも有名である。
『点と線』は、香椎の海岸で「情死体」が発見されることからサスペンスはスタートする。
福岡署のベテラン刑事である鳥飼重太郎は捜査のため香椎駅周辺を回るのであるが、彼は次のように回想している。
西鉄香椎駅を通り抜けて、国鉄の香椎駅に向った。この2つの駅の間は、500メートルぐらいしかない。道の両側は、ややにぎやかな町なみであった。
西鉄香椎駅で降りて、海岸の現場までは、歩いて10分ばかりである。駅からは寂しい家なみがしばらく両方につづくが、すぐに切れて松林となり、それもなくなってやがて、石ころの多い広い海岸となった。この辺りは埋立地なのである。

また、香椎の海岸で死体となって発見される「お時」は、国鉄香椎駅から海岸に向かう途中で「ずいぶん、寂しいところね。」とつぶやく。
この「お時」のセリフは、香椎の海岸が『点と線』の舞台に選ばれた理由であるのだが。

『点と線』に登場する西鉄香椎駅は現在、香椎地区の一連の再開発事業(西鉄宮地岳線香椎駅周辺連続立体交差事業)により2006年5月に積み木のような高架駅へと様変わりしてしまった。
同じく『点と線』の中で香椎の海岸について次のような記述がなされている。
太宰帥であった大伴旅人はここに遊んで、「いざ子ども香椎の潟に白妙の袖さえぬれて朝菜積みてむ」(万葉集巻六)と詠んだ。
しかし、現代の乾いた現実は、この王朝の抒情趣味を解さなかった。

今、香椎の海岸から望むものは、巨大な人工島である。

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  • *1:1960年
    点と線―長編推理小説
    点と線―長編推理小説
    松本 清張
    光文社

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商店街歩記 vol.04・・・井尻商店街



【概要】
福岡市南区井尻にある「井尻商店街」は西鉄井尻駅に隣接し、県道31号線井尻六ツ角まで延びる400m足らずの隘路に集積した商店街である。
西鉄井尻駅からは多くの乗降客が行き交い、春日市との境界となる井尻六ツ角からの人の往来も多い。
また、JR笹原駅からも徒歩10分であり、南区の交通の要所とされている。

南区が運営するサイト「南区校区よかとこ再発見」によると、「井尻」の地名の由来には次のような記述があった。
万葉集にでてくる「伊知郷」の「伊知」からきているという説と、背振山の高僧へ院使が派遣されたときに泊まった「院使寺(いんじじ)」があったことからそれが訛って井尻になったという説があります。

その他の井尻地区に関する詳細な歴史的背景についてわからないものの、明治時代には高等小学校があり近隣地域の教育の中心地であったようだ(現在でも井尻周辺に複数の大学が立地しているのはその名残か)。
その後、大正13年に西鉄井尻駅が開業、さらに商店街が発展し始めたのは戦後の昭和20年代からで、昭和30年代には現在の形に整えられたという。
駅や商店街の周囲には住宅地が密集し、近代になって段階的に発展を遂げた町である。

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商店街歩記 Vol.03・・・銀天町商店街



【概要】
銀天町商店街は雑餉隈(ざっしょのくま)にある。
地図でみてもわかるように、糟屋郡宇美町、太宰府市、大野城市、そして春日市と接した福岡市博多区の南端である。
「雑餉」という地名には諸説あるようで、郵政公社のHP「福岡雑餉隈郵便局」紹介のページに次のような記述があった。
室町時代から江戸時代にかけて、太宰府往還の宿場町として栄えた所であり、往来の旅人が脚を休めたり、近在の百姓が日用品等を求めて集まるため、酒希や食事を供する茶店や旅籠が軒を並べていた所である。九州北部ではお祝の時に贈る饅頭などの食物を「お雑餉(おざっしょう)」と言う。

また、「紀行道中写真館」では、「『雑餉隈』とは・・・特に遊郭を表した呼称ともいわれる」(「雑餉隈駅」より)といった記述もみられる。
いずれにせよ、太宰府とのかかわりが深い土地であるといって差し支えないだろう(西鉄沿線「駅名もの知り事典」も参照)。

銀天町商店街の基点となる西鉄雑餉隈駅は1924年(大正13年)に開業、その後商店街としての本格的な集積は戦後間もなくであるという。
銀天町商店街や地域の人たちで結成された「親孝行の街づくり実行委員会」発行のコミュニティペーパー『よござっ書』に当時の銀天町商店街の状況が写真とともに紹介されており、とくに『よござっ書 第2号』(2005年8月20日発行)の「ざっしょ思い出の写真館」が興味深い。
それによると、昭和40年ごろ雑餉隈界隈には4つの映画館があり、サーカスの興業なども行われていたという。
また当時の写真をみると、まだ「銀天」を意味するアーケードがなく、おそらくそのころはまだ「ざっしょ」と呼ばれていたのではなどと勝手に想像してしまうのだが。

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商店街歩記 vol.02・・・唐人町商店街



【概要】
福岡市中央区唐人町の「唐人町商店街」は、明治通りから北へ一本入った旧唐津街道にあり、地下鉄唐人町駅に近接したアーケード商店街である。
唐人町商店街のHPによると、江戸時代、唐津藩と筑前藩(福岡藩)が参勤交代に往来していた街道沿いに発展し、実に400年の歴史があるという。
その他、商店街の周辺には都市の防衛機能を果たした多数の寺院や藩校であった「修猷館」(現在はないが「甘棠館」も藩校として存在した)があり、このことからも筑前藩の藩庁であった福岡城の城下町という名残がかすかに感じられる。

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