『インターネットは流通と社会をどう変えたか』を読んで
先月出版された『インターネットは流通と社会をどう変えたか 』(阿部真也/江上哲/吉村純一/大野哲明 編著、中央経済社、2016年)†1を走り読みのレベルですが読みました。
最初にお断りしておくと、本書は、巷にあふれているインターネット関連のビジネス本の類ではなく、流通経済学としてのマーケティング論の専門書です。
ですので、私も含めて一般の方が読むには少々骨が折れるかもしれません。
もはや一般的になりすぎて説明するのも難しいインターネットという概念は、いわゆるインフォメーション・テクノロジー(Information Technology)のもっとも進んで普及した「技術」だろうと思います。
本書は、その「技術」としてのインターネットの進展が、いかに個別企業の事業活動やその総体である経済体制(とりわけ、流通経済のあり様)、あるいは私たちの生活世界にインパクトを及ぼしているのかを、良い側面と悪い側面に焦点を当てつつアプローチされた内容となっています。
本書を貫くスタンスについて、もっとも端的な記述を引用すると以下の部分ではないかと思いました。
技術の論理と資本の論理、さらに社会の論理とが矛盾交差するところに、インターネットの発展過程を解明するカギがあり、課題がある(本書15ページ)
朝起きて、まずはパソコンに電源を入れすぐさまブラウザを立ち上げ、Gmailの受信確認をしつつ、Twitter、Facebook、InstagramなどSNSをひと通りチェック。
Youtubeを見ながら朝食やお昼ごはんを食べ、合間にスマホでSNSのタイムラインをたぐり、「いいね」やリツイートなどのリアクション。
ふと、ムダな時間を過ごしていることに気がつき仕事に戻ったのも束の間、また何となくタイムラインに流されたりしている。
一見すると、無自覚で無目的なインターネットによるライフスタイルの侵食にみえて、しかし実のところSNSのタイムラインは、自分の感心あるところでキュレーションされ絶妙にカスタマイズされていることに気づきます。
その意味では、本書でも指摘されているように、SNS全盛のインターネットは、大多数のド素人によるコミュニケーション情報の束だと換言できるかもしれません(本書140ページ)。
さらに一歩進んで、かつて市場経済システムが「素人の市場」から「管理された市場」に移り変わったように、ド素人によるコミュニケーション情報の束であるインターネットを誰が「飼育化」するのだろうかということも、その可能性や限界を含めたところで洞察することもあり得るのかなぁと思いました。
いずれにせよ、「21世紀でもっともセクシー」(本書138ページ)なソーシャルマーケターを目指すには、インターネットを含む生活世界において、居心地が良いように(ときに居心地が最悪なケースも)編集されたコミュニティがどのような価値基準でもってネットワークされているのかを解明すること(本書 第5章を参照)が重要だと思われます。
そんなことをつらつらと考えたりするきっかけとして、専門的な見地より書かれた本書から、多様なエッセンスや刺激を得ることができました。
Notes
- 本当に微力ながら第4章の実査に関してお手伝いさせていただきました。この場を借りて先輩に感謝申し上げます。 ↩
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